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暦に関する法律など

こよみは太陽などの天体の運行などをもとに決めていますから自然界に関係深い側面があるのは当然ですが、同時に、人間同士の約束ごとという側面も持っています。たとえば、昔は太陰暦を用いていたのに明治になって太陽暦に代えたことなどはその一例です。そうした社会の約束ごとは慣習的に決められているものもありますが、中には法律などで明記されていることもあります。ここではそうしたものをいくつか見てみましょう。

1.太陽暦の採用

●太政官達(たっし) 第 337号 明治5年(1872年)
●勅令 第90号 明治31年(1898年)
 現在の日本の暦は太陽暦.なかでもグレゴリオ暦法とよばれる方法を採用していますが,その法的根拠が上の二つ。勅令第90号には「神武天皇即位紀元数ノ四ヲ持ッテ整徐シ得ヘキ年ヲ閏年トス但シ紀元数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整徐シ得ヘキモノノ中更に四ヲ以テソノ商ヲ整徐シ得サル年ハ平年トス」とあって、400年に97回の閏年をおくグレゴリオ暦法の置閏法が記されています。西暦年数ではなく、神武天皇即位紀元で年を数えているとことは日本流に工夫したところでしょうが、神武天皇即位紀元が何であるか、またいつからどう数えるかといったことは書いてありません。

2.春分の日・秋分の日

●国民の祝日に関する法律 法律第 178号 昭和23年(1948年)
 日が固定せず悩まされる春分の日、秋分の日は上記の法律で祝日とされ、第二条で各祝日の名称と日付が定められているのですが、春分の日は「春分日」、秋分の日は「秋分日」と記載されており、月日は固定されていません。この法律を管掌しているのは総理府ですが、具体的な日付は前年2月最初の官報に掲載されることになっていて、その業務を行なっているのは文部科学省国立天文台です。

3.東経 135度を日本の時刻の基準とすること

●勅令 第51号 明治19年(1886年)
 明治17年(1884年)の国際子午線並びに計時法会議の結果を採用し、明治21年(1882年)1月1日より東経 135度上での時刻を日本全国で使うようになりました。

4.12時間制の採用と午前、午後の定義

●太政官達 第 337号 明治5年(1872年)
 1日を24時間とし、「子刻ヨリ午刻迄ヲ12時ニ分チ午前幾時ト稱シ午刻ヨリ子刻迄ヲ12時ニ分チ午後幾時ト稱候事」となりました。その付録に時刻表があり、午前は零時即午後12時から12時まで、午後は1時から12時まで分けられています。

これをよく読むと、昼の12時から午後1時まではどちらに入るか書かれていないことが分かります。また、午前零時はあるのに、午後零時はないということで、混乱があるようです。
 「午後12時30分から停電します、と書いてある。これは昼か、夜か?」といった質問が科学館にしばしば寄せられます。上の達に忠実にしたがえば、零時即午後12時と書いてありますから夜となりますが、書いた人は昼のつもりだったかも知れません。いずれにしろ、午前12時30分とか、午後12時30分とかの表現はあいまいなので、昼とか夜とかを付けて言った方がよいようです。

5.昼と夜の別

●刑事訴訟法 第 116条
 「日出前、日没後には、令状に夜間でも執行することができる旨の記載がなければ、差押状又は捜索状の執行のため、人の住居又は人の看守する邸宅、建造物若しくは船舶内に入ることはできない。」とされ、夜間は日出前、日没後となっています。昼間については特に記述されていないようです。

6.日の出入りの定義

●文部省告示第 165号 明治35年(1902年)
 明治36年より「太陽面最上点ノ地平線ニ見ユル時刻ヲ以テ日出入時刻ト定ム」ことになりました。

7.うるう秒

 ●計量法 法律第27号 昭和47年(1972年)
 ●郵政省告示 第 890号 昭和52年(1977年)
 現在わが国で使われている時刻体系は協定世界時とよばれるものです。これについては104ペ−ジの「時刻系−うるう秒とは」を参照してください。時間単位として原子時の秒を使うことを決めたのが計量法で、うるう秒の入れ方を規定したのが郵政省告示です。

(以上,青木信仰著「時と暦」東京大学出版会UP選書226,1982年より)