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旧暦の意味

 科学館ではしばしば「旧暦」についての質問を受けることがあります。また、ちょっとしたブームとなっているようで、年末のカレンダー売り場には数種類の旧暦カレンダーが並んでいるのを見かけます。さらには以前から潮汐と関係深い漁業関係者は旧暦を活用しているといいますし、各種の行事、たとえば旧正月、旧七夕、中秋の名月(旧8月15日)の日付の決定など「旧暦」は意外と生活のなかに顔を出しているのです。


■旧暦って何?

 「旧暦」とは、おおざっぱにいえば「昔使われていた暦」です。いま私たちが使っている太陽暦は1873(明治6)年から使いはじめましたが、それ以前は「天保暦」という太陰太陽暦法(月の満ち欠けを基準にした暦)が使われていました。ただ、天保暦がそのまま旧暦ではありません。旧暦とは天保暦の計算方法だけを用い、実際の計算に使う数値(1太陽年など)は、現在使われている値を使って計算したものなのです。つまり、旧暦とは過去に用いられた天保暦をまねて作ったカレンダーということになります。


■なぜ旧暦を使うの?

 1873(明治6)年、それまで使われていた天保暦(太陰太陽暦)に代わり、太陽暦が使われるようになりました。太陽暦(太陽を基準)と太陰太陽暦(月の満ち欠けを基準)とでは、全く考え方が違うため、日付も変わってしまいました。

 そのため、月の満ち欠けと密接に結びついていた農業や漁業などのサイクルや、七夕や十五夜などといった生活習慣がうまく対応できなくなり、不都合が生じました。

 そこで、天保暦をまねた太陰太陽暦を作って「旧暦」としたのです。このように、旧暦は便宜上作られたものであって、正式な旧暦というものは存在しません。日本の暦を担当する役所である文部科学省・国立天文台でも計算は一切行なっていません。


■旧暦と季節

 天保暦をはじめとした太陰太陽暦は、月の満ち欠けを基準として作られている太陰暦の一種です。太陰太陽暦は、太陰暦に太陽暦の要素を加えることにより、欠点を補っています。

 太陰暦は、月の満ち欠けする周期(1朔望月=平均29.53059日)を1ヶ月としています。そのため1ヶ月の日数は29日か30日で、1年(12ヶ月)は、1朔望月を12倍した約354日となります。一方、私たちの生活サイクルとなっている季節の移り変わりは、地球が太陽のまわりをまわる周期(1太陽年)と同じ365.2422日です。そのため暦の1年(354日)は1太陽年よりも約11日短く、その差は16〜7年たつと約半年となり、真夏に正月がやってきてしまいます。この不都合を補うため、19年間におよそ7回の割合で閏月(うるうづき)と呼ばれる1ヶ月を挿入することにより、日付と季節のズレを一定の範囲内にとどめています。

 閏月の名称は、挿入する前の月の名前に「閏」を付けて呼びます。つまり、7月のあとに閏月を挿入した場合、その閏月の名称は「閏7月」となります。

 この命名法は便宜的なものであり、「7月が2回続くのだから、その年は暑い」というような事は全くありません。


■暦の読み方

1.二十四節気は季節を知る目安

 旧暦では1年の長さが353日〜385日まで変化します。そのため毎年の日付と季節にズレが起こるため、季節を表す目安として考案されたのが二十四節気です。冬至を基点として1太陽年を24等分しています。またその他に雑節という目安も作られました。

 この他に、二十四節気をさらに細分化した七十二候も用いられていました。


2.年・月・日の吉凶を示す暦注

 神社暦や市販の暦書には、二十四節気の他に日の干支や九星、六曜、十二直、二十八宿(二十七宿)などが記載されています。これらは日や年の吉凶を見るために使われますが、曜日と同じ様に単なる名前であり、その吉凶に科学的根拠は一切ありません。

(1)今も生きる丙午(ひのえうま)迷信

 「私は午(うま)年生れ」というふうに、年には干支(えと)が名づけられています。その中で、いまでも丙午の年を忌み嫌う人があります。しかし、これには科学的根拠はまったくありません。干支の丙は陽の火、午も陽の火で、火の勢いが強烈であるという古代中国の陰陽五行思想に起因するものです。この陰陽五行思想とは、森羅万象を陰と陽に分ける陰陽説と木、火、土、金、水の五気に分ける五行説とが結びついたもので、陰陽五気によりあらゆる現象を理解し、予測しようとした中国から伝来のものです。

(2)日の吉凶に使われる事項

 明治六年の太陽暦採用から、国が発行する暦では吉凶に関する項目を載せる事が禁止されました。しかし、民間の運勢暦では六曜と九星、三隣亡(さんりんぼう)といった項目が新たに作られ、登場しました。